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四百余年の時を刻む東伊豆町の築城石採石跡。石工達の息吹を感じて下さい!

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東伊豆江戸城築城石石丁場



● 2018年1月27日更新 ●
2018年1月21日、首都圏を雪国の風景に変えた南岸低気圧が接近する前、
翌日の大雪が想像できないほどのポカポカ陽気に上着をコインロッカーに預け、
皇居〜日比谷公園に刻印石を求めて、歩いてみました。
そこには、伊豆山中の石丁場に瞬間移動したかのような空間が広がっていたのです。
















伊豆東海岸を貫く国道135号線、伊東市と熱海市の境付近に広がる石丁場です。
一帯は御石ヶ沢と呼ばれ、相模灘に接する急斜面に幾筋もの沢が流れ込み、
沢沿いの自然転石や海岸線の大型転石を利用して江戸城築城石が採石されました。
「御石様」と呼ばれた江戸城築城石。
石材が如何に重宝とされてきたのかが伺えます。


● 2017年12月31日更新 ●




● 2017年12月2日更新 ●
 



「みなみがぼら、ゆがぼら」と読みます。
熱海市網代地区に流れ込む水神川の上流域、谷底に向かう支流域で採石された石丁場です。
確認されている石丁場至近まで造成され、舗装路が整備され住宅が建ち並んでいます。
一部はリゾート別荘地となり、石丁場が破壊されてしまいました。
四百年以上前の江戸城築城石採石石丁場がこれ以上破壊されないことを願います。

● 2017年12月23日更新 ●






国道135号線、伊東から熱海に向かう途中の網代トンネル手前を右に進み、
つづら折りの舗装路を上ると廃校になった網代中学校に続きます。
そのまま舗装された車道を進むと朝日山公園入り口の駐車スペースにたどり着きました。
そこは、既に築城石ワールドだったのです。

● 2017年12月17日更新 ●







● 2017年5月7日更新 ●







● 2017年9月2日更新 ●
2017年3月、二度目の潜入を試みた神奈川県小田原市早川石丁場です。
二度目の潜入は初回潜入時、日の入り時間が迫り潜入が叶わなかった石丁場。
多くの石材が林道から見え隠れ、大規模な石丁場であると確信していたのです。
農道拡幅工事の際、発見され遊歩道が整備されている石丁場入り口より北進、
林道斜面に広がる石丁場は驚愕の姿を見せてくれました。






   


● 2017年2月12日更新 ●
神奈川県小田原市早川石丁場に潜入しました。
神奈川県西部地区にはいくつかの石丁場が存在していますが、
おそらく、伊豆東海岸の石丁場に比べ、
規模はそれほど大きくないだろうと思っていました。
ところが・・、
潜入して驚愕、そして大感動!

累々と連なる大型切り出し石材、大きさは第一級です。
鮮明に刻まれた刻印。
何もかも想像を絶する石丁場でした。












● 2017年8月19日更新●
2017年7月、梅雨明け直前の真鶴、番場浦石丁場です。
神奈川県西部エリアは良質な石材が産出され、
現在でも本小松石の名産地として全国的に有名です。
真鶴番場浦の採石の歴史は古く、奈良・鎌倉時代より良質な石材を産出していました。
徳川家康による江戸城修築の天下普請では鍋島信濃守勝茂の担当丁場が存在し、
寛永時代には尾張徳川家、紀州徳川家が担当丁場としていたようです。









● 2017年7月1日更新●
2017年2月の潜入風景です。
様々な表情を見せる熱海・中張窪石丁場群。
「是ヨリにし 有馬玄番 石場 慶長十六年 七月廿一日」の文字刻印石を左に見ながら直進。
大規模な丁場跡はありませんでしたが、
不思議な刻印を残す切り出し石材に遭遇しました。







● 2016年11月21日更新●
潜入直後、目に入る多数の不法投棄廃棄物に残念さを感じていました。
歩を進めていきますが、不連続石丁場に少々がっかり・・・、と思っていたところ、
尾根沿いに続く石丁場群に圧倒されました。
見る者を約四百年前に時空間移動させるには充分な見応えがありました。
四つ目の文字刻印正体、判読したいモノです。










● 2017年6月10日更新 ●
2017年3月、沼津市戸田地区石丁場に二度目の探索に入りました。
県道17号線、戸田市街からクルマで数分、
落石防止の工事部分脇から潜入。
県道から僅か数メートルの林の中には、目を疑う程の築城石ワールドが存在していました。
二度の探索でも戸田地区の石丁場の全容を確認することは出来ません。
おそらく神奈川県西部から伊豆地区に掛けて点在する石丁場の中でも最大級の石丁場群ではないでしょうか。

















● 2017年2月25日更新 ●

伊豆西海岸にも石丁場の存在が確認されていました。
以前沼津市西浦久料地区の石丁場に潜入しましたが、9月の潜入で多くを見ることは出来ませんでした。
そこで石丁場散策トップシーズンに今回、沼津市戸田地区(旧戸田村)の石丁場に潜入。
築城石採石の石丁場は伊豆東海岸がメインだろうと思っていましたが、
それは思い込みであったのだと、実感しました。
















● 2017年3月31日更新 ●
前回、久料石丁場に潜入したのは、石丁場散策にはオフシーズンの9月でした。
多くを見ることが出来ませんでした、今回、最適シーズンに潜入。
多数の矢割石、矢穴石を見ることが出来ましたが、
県道拡幅工事とみかん畑造成で石丁場の殆どが失われた丁場跡であることが確認出来ました。



● 2015年9月18日更新 ●
沼津市西浦久料在住の久保田喜六さんの案内で久料石丁場に赴きました。
久保田家は久料の地で400年以上の歴史を刻む旧家で、徳川家康の天下普請の際、阿波の領主・蜂須賀氏の石丁場預かり(役人)の任務をしていました。近年、発見された古文書から蜂須賀氏の石丁場存在の明記が確認され、所有地からは蜂須賀氏の代表紋「卍」の刻印が入った巨大な割石が県事業の道路拡幅工事の際、発見されたのです。
久保田さんの話では約60年前、みかん畑造成の際、「卍」の入った刻印石を埋めた記憶があると云うことでした。ただし、今回発見された刻印石の場所ではなく、他の場所であると云い、
所有する土地内には数多くの矢穴石、矢割り石が点在しているとのことです。
発見された古文書の古地図を見ると久料の町並み、背後の山岳地斜面全体が石丁場であったようです。
この大規模な石丁場が存在すると思われる久料の地権者・久保田さんは、約400年の時を刻んだ貴重な石丁場を後世に残そうと県や沼津市に情報を提供、調査を受け入れ保全に尽力されています。
久料石丁場を含めた沼津市西浦エリアの石丁場は殆どが未調査となっています。
今後、角石を含めた駿府城築城石の大発見があるかもしれません。

久保田喜六さん・・2016年夏永眠されました。石丁場に対する久保田さんの思いに敬服の念を抱くと共に、久保田さんのご冥福をお祈り申し上げます。(2016年10月追記)



● 2016年10月3日更新(2016年10月1日探索)●
クルマで通りかかった河津町見高のベロバ海岸。
民家の門前に祀られた道祖神の祠が目に入ると同時に、石垣の矢割石が視界に入ったのです。
クルマを降りて付近を散策、多数の矢穴、矢割石の存在に、
石丁場の存在がここに有ったのだと確信したのです。







● 2016年6月19日更新 ●
河津町、今井浜海岸の手前に広がるゴロタ石の磯付近に石丁場の存在が確認されていました。
過去二回、磯を調査しましたが矢穴石、矢割石を見つけるに至りませんでした。
調査した際、流れ込む沢の北側の磯を遠目に見て、
もし、磯丁場があるとすればそこに違いないと確信していました。
今回、通りがかりのついでに炎天下の中、磯に降りて歩を進め、「また、空振りか・・。」と諦めかけていた時、
目に飛び込んできたのは見事な矢穴石だったのです。
あまりの暑さに引き返してきましたが、大規模な石丁場を思わせる磯丁場でした。

資料によると現在の河津町見高地区は採石時「耳高」と呼ばれ、
尾張大納言義直の担当丁場があったと記されています。
尾張徳川家は伊東富戸から川奈地区、東伊豆北川地区に担当丁場を持っていました。
徳川家に至るまで採石の命を出した徳川家光時代、つまり寛永時代の採石丁場なのです。









「羽柴越中守石場」の刻字を求めて伊東市宇佐美ナコウ山に足を運びました。
東伊豆町内の石丁場の殆どはクルマを利用して、石丁場の至近距離まで行けるため、
トライするナコウ山も同様だろうと、愛車を走らせるも連なる山々にクルマの駐車スペースさえ探し出せず・・。
お散歩中のご婦人に「あの〜、この辺にナコウ山ってありませんか?」と訪ねたところ、
ご親切に遊歩道入口までご案内頂きました。
感謝、感謝です。
お名前も聞かず山中に入ってしまいましたが、石丁場についてご存じでしたので、
小生が制作した稲取・本林石丁場のパンフレットを手渡し、HPの案内をさせていただきました。
このHPをご覧頂いておりましたら、是非メール(edojyo@chikujohseki.com)いただけますでしょうか?

さて、今回のナコウ山トライ。
ナコウ山山頂を目指すルートは東浦路を北進、山頂を経由して網代に抜ける白波台コース。
どうやらナコウ山石丁場、最大の見所「洞ノ入」を外してしまったばかりで無く、
ナコウ山山頂目前で右手に見える丘陵をナコウ山山頂と思い込み歩を進めたところ、
クルマを駐車した入り口方向がわからなくなるというアクシデント。
約三時間、山中を彷徨う羽目となりました。慣れない山は怖い!

● 2016年4月29日更新(2016年4月27日探索) ●







伊東市富戸の払い海岸に残る磯丁場です。
背後に岩屏風の絶壁、左右には柱状節理の岸壁で豊富な石材調達地となっていたようです。
磯丁場のほぼ中央には「元船石」と呼ばれる巨大な矢割り石が存在し、
周囲には数多くの矢穴石、矢割石とともに巨大な刻印を残す刻印石が点在しています。

● 2016年4月20日更新 ●






伊東市富戸 払海岸磯丁場「元船石」の動画

※本サイト参考による石丁場探索によって被る傷害について一切の責任は負いません。
石丁場探索は自己責任、自己管理の下で行動願います。

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