岩盤に開けられている矢穴です。
この岩盤は堆積物に下部が埋もれていますが、
矢穴位置が地表に近いことから、
岩盤の最下部は1m以上下の土中では無いかと思われます。

江戸城改修に伴い最後の普請が発令されたのは寛永13年(1636年)。
それから70年後の宝永4年(1707年)、
富士山の側火山、宝永山が大噴火を起こし、
東方向には大量の火山灰が降り注いだのです。

現在の神奈川県西部地区には1m近い火山灰が降り積もったと言われています。
宝永山大噴火から70年前の早川石丁場の多くは、
降り注いだ火山灰に埋もれてしまっているのでしょう。


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