林道脇に鎮座する巨石に刻まれた刻印と刻字
刻印としては、かなり小型で○に×のようです。
刻印の右側、こちらも風化浸食で判読が困難になっていますが、
案内看板の記載では、「此左・・」と刻まれているようです。
約500m離れた石垣山一夜城の石垣から、
「此石可き左右加藤肥後守石場」と刻まれた刻字石が発見されていることから、
同様の大名が担当した石丁場と思われます。

加藤肥後守とは豊臣秀吉の家臣、賤ヶ岳の七本槍で熊本城を改築した加藤清正のことです。
加藤清正は早川石丁場だけではなく、
同じく賤ヶ岳七本槍の一人、福島正則の求める助けに応じて
熱海地区に現存する石丁場にも担当丁場を持っていました。


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