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四百余年の時を刻む江戸城築城石石丁場跡。石工達の息吹を感じて下さい!

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伊豆國多賀(静岡県熱海市)
白子・地獄沢石丁場「慶長矢穴巨石」
伊豆國多賀(熱海市多賀地区)の白子・地獄沢石丁場内の大型矢穴が開けられた江戸城築城石切出残石です。開けられた矢穴は10cmを越え、徳川家康が慶長九年(1604年)に発令した公儀普請直後の採石作業痕跡ではないかと思われます。
切出残石には刻印が刻まれていませんので付近の石丁場を担当した大名家は不明です。

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白子・地獄沢石丁場「石丁場内に残された切出巨石」
伊豆國多賀(静岡県熱海市)白子・地獄沢石丁場内に残る築城石切出し残石です。白子・地獄沢石丁場は2015年、国の史跡に認定された中張り窪・瘤木石丁場に隣接し、江戸城築城石石丁場として双方の面積を合わせると伊豆東海岸では最も広大な築城石採石石丁場群となります。

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伊豆國宇佐美(静岡県伊東市)
ナコウ山・洞ノ入石丁場「田紋≠ェ集中する刻印石群」
2015年、国の史跡に認定された伊東市宇佐美のナコウ山・洞ノ入石丁場です。ナコウ山山頂に続く複数の谷筋の中、「田紋」の刻印石が集中する谷筋があります。「田紋」の大きさが比較的揃っていることから、同一大名家による江戸城築城石採石作業であると思われます。
ナコウ山山頂付近の「羽柴越中守石場」の銘文が刻まれた巨石がある石丁場に続く谷筋であることから、採石作業を行った大名家は細川忠興ではないかと思われます。

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ナコウ山・洞ノ入石丁場「ナコウ山山頂付近の石丁場跡」
「羽柴越中守石場」の銘文巨石が残されているナコウ山山頂付近の石丁場跡の紹介です。「羽柴越中守」とは豊前小倉藩初代藩主・細川忠興のことです。
石丁場跡に残された粗削り角石(角石=城郭の角に使用される大型の築城石)の刻印は「○にT」ではないかという説があります。キリシタン大名の中には、刻印にアルファベットを用いた事が確認されていますが、細川忠興自身はキリシタンではありませんでした。
正室は細川ガラシャ。明智光秀の娘で信仰深いキリシタンでしたが「関ヶ原の戦」後、幽閉されていた大阪城内の細川屋敷にて豊臣の人質になる事を嫌い、焼身自殺を図っています。享年38才でした。
山頂付近の石丁場内にて「羽柴姓」を巨石に刻んでいるという事は、徳川家康による慶長九年の公儀普請から慶長十九年、大坂の陣にて豊臣家が滅亡するまでの間に細川家が伊豆國宇佐美、ナコウ山に石丁場を担当した証拠となります。
「関ヶ原の戦」から僅か数年後、細川家の家臣が細川ガラシャを偲んで、刻印にキリシタンの証明でもあるアルファベットを刻んだのかも知れません。

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ナコウ山・洞ノ入石丁場「羽柴越中守石場 銘文巨石
伊豆國多賀(熱海市多賀地区)の白子・地獄沢石丁場内の大型矢穴が開けられた江戸城築城石切出残石です。開けられた矢穴は10cmを越え、徳川家康が慶長九年(1604年)に発令した公儀普請直後の採石作業痕跡ではないかと思われます。
切出残石には刻印が刻まれていませんので付近の石丁場を担当した大名家は不明です。

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ナコウ山・洞ノ入石丁場「毛利家刻印矢羽根紋=@刻印石群」
平成28年、国の史跡として認定された宇佐美石丁場群の代表的な石丁場「洞ノ入石丁場」内の毛利家刻印「矢羽根紋」の刻印石が集中する江戸城築城石石丁場の様子です。四百年以上前とは思えない鮮明で美しい刻印や矢穴跡を堪能して下さい。

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ナコウ山・洞ノ入石丁場「折敷に三≠フ刻印石が並ぶ石丁場」
国の史跡として認定されている静岡県伊東市宇佐美の洞ノ入石丁場内、豊後国臼杵藩第二代藩主・稲葉典道担当の石丁場内と思われる「折敷に三」の刻印が刻まれた築城石切り出し石材が五本並べられた様子です。運び出し直前で作業が止まっています。

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大窪石丁場「前田利常£S当石丁場内刻印石」
伊豆東海岸を貫く国道135号線、伊東市街から熱海方向を進むと「新宇佐美トンネル」が待ち受けています。新宇佐美トンネルの直上は、徳川家康の公儀普請を受けて江戸城改修のための築城石を採石した石丁場なのです。羽柴越前守(細川忠興)の担当石丁場に三方(ナコウ山・洞ノ入石丁場、離山石丁場、御石ヶ沢石丁場)を囲まれた大窪石丁場内からは加賀藩前田家の刻印と思われる大型刻印が発見されています。もし前田家担当でしたら大窪石丁場は、現在の伊東湾対岸付近に存在する新井石丁場を担当していた前田利常の担当石丁場であったと思われます。

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伊豆國湯川(静岡県伊東市)
割石・磯辺山石丁場「久留島丹後守通春担当丁場刻印石」
伊豆國湯川(静岡県伊東市湯川地区)を流れる境川に繋がる支谷に点在する豊後国森藩主・久留島丹後守通春の代表紋が刻まれた刻印石です。
「荻野家文書」に、「・・毛利市三郎の丁場がしゃくし洞で、石の紋は矢はず、久留島丹後守の丁場が同じくしゃくし洞で石の紋は丸に久の字・・」と記載があります。
現在、「しゃくし洞(しゃくしぼら)」という地名はありませんが、採石当時「しゃくし洞」と呼ばれていたのは磯辺山石丁場であったようです。

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割石・磯辺山石丁場「五徳紋∞火箸紋″処石」
伊豆國湯川(静岡県伊東市湯川地区)を流れる境川の上流域に拡がる割石・磯辺山石丁場に存在する刻印石です。江戸城築城石切出残石で大きさから角石(城郭の角に使用する大型の築城石)または角脇石(角石の横に配置する大型の築城石)ではないかと思われます。
「火箸紋」と「五徳紋」の大型刻印が刻まれています。周辺エリアから豊後国佐伯藩の毛利家刻印や豊後国森藩主・久留島通春の刻印が発見されていますが何れの大名家とも「火箸紋」「五徳紋」を使用していた文献が無いため他の大名家の採石ということも考えられます。

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桜ヶ洞石丁場 「輪違い紋≠ニ大割石」
「輪違い紋」近景の動画です。
「輪違い紋」刻印石は熱海市寄りの石丁場では御石ヶ沢石丁場において「三頭巴紋」とセットで刻まれ、羽柴越中守(細川忠興)担当石丁場と松平宮内少(姫路城主・池田忠雄)の担当石丁場の至近距離に存在しているため、いずれかの大名家が刻んだ刻印ではないかと思われますが、
桜ケ洞石丁場では「久」または「∂(これに近い刻印)」との組み合わせで刻まれ、刻んだ大名家は不明です。
賤ケ岳の七本槍で名を挙げた脇坂安治が代表紋としていたので、脇坂家配下の石工が刻んだ刻印かもしれません。
脇坂家は細川家文書の記載では伊東市内、新井地区に石丁場を持っていたことが確認されています。

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桜ヶ洞石丁場 「複数刻印が刻まれた築城石」
伊東市湯川地区を流れる清流、横磯川中流に広がる江戸城築城石採石丁場「桜ヶ洞石丁場」です。
大量の刻印石や大型刻印を残す切出し残石、完成角石が残る石丁場で、訪れる者全て四百有余年前のタイムスリップを体感させる石丁場なのです。

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桜ヶ洞石丁場 「間地石採石加工丁場」
伊東市湯川地区を流れる清流、横磯川中流に広がるの桜ヶ洞石丁場内、江戸城城壁の「間知石」用途で切り出された築城石残石に刻まれた刻印です。
鮮明に残る刻印は、訪れる者全て四百有余年前のタイムスリップを体感させる石丁場なのです。

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伊豆國松原(静岡県伊東市)
登り立石丁場「卍紋≠ニ矢割石」
静岡県伊東市の市街地を流れる大川の支流、寺田川の中流域に拡がる江戸城築城石石丁場の様子です。狭いエリアに「卍紋」が集中、江戸城改修開始の慶長時代から改修終了の寛永時代までの採石作業痕跡を残しています。

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伊豆國大川(静岡県東伊豆町)
谷戸ノ入石丁場「浅野紀伊守幸長担当石丁場刻印石」
伊豆國大川・谷戸ノ入石丁場内、浅野紀伊守幸長担当の石丁場内の存在する刻印石です。刻印は浅野幸長の代表紋と言われる「結三輪異紋(けつみつわいもん)」。
浅野紀伊守幸長の公儀普請課役は慶長九年、徳川家康による公儀普請発令の江戸城から始まり慶長十一年、徳川秀忠の公儀普請発令による江戸城並びに石船建造、慶長十二年の駿府城普請、慶長十四年の篠山城普請、慶長十五年の名古屋城普請等、多くの公儀普請に参加していたのです。

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谷戸ノ入石丁場「削り出し築城石の痕跡」
伊豆國大川、谷戸ノ入石丁場内に存在する「角石」(城郭の角に使用する大型の築城石)を削り出して製品にする工程途中の築城石残石です。通常、築城石を製品化する場合、自然石に矢穴を開け、木の楔(慶長時代から元和時代初期)または金属の楔(元和時代から寛永時代以降)を使用して割り出し、矢割後に石鑿を使用して成形しますが、動画の築城石は一部矢割跡を残しますが大部分が自然石の岩体から削り出して製品化しているようです。

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谷戸ノ入石丁場「江戸城築上石角石切出丁場」
伊豆國大川 谷戸ノ入石丁場内の角石(城郭の角に組み込む大型築城石)の切り出し丁場です。整地された丁場跡に残された角石は全長189cm、幅96cm、高さ77cm(資料調べ)の大きさで完成直前の状態で作業が止まっています。立派な築城石ですが何故作業が止まってしまったのかは永遠の謎なのです。

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谷戸ノ入石丁場「分銅紋″処石密集石丁場跡」
東伊豆町大川地区、隣接する谷戸山石丁場内、堀尾山城守の代表紋「分銅紋」の刻印石が大量に発見されている「分銅紋の谷」の対岸に位置する「分銅紋」刻印石が密集する石丁場の様子です。

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谷戸ノ入石丁場「尾張徳川家(松平義直)預かり石丁場切出残石」
細川家文書の「伊豆石場之覚」によると伊豆國大川には尾張徳川家担当丁場があったことが記載されています。
石丁場内には明確な徳川家を表す痕跡はないのですが、唯一徳川家の刻印とされる「曲尺紋(L字紋)」が刻まれた刻印石が存在しています。
至近距離に拡がり石丁場内の切り出し石材に刻印が刻まれていないことから、尾張徳川家の預かり丁場ではないかと思われます。

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谷戸山石丁場「築城石切出し要素を含んだ切り出し石材と分銅紋≠ノ囲まれた石工達の飯場跡?」
伊豆國大川、谷戸山石丁場内には堀尾山城守(堀尾吉晴・松江城築城主)が代表紋とする分銅紋の刻印石が密集する谷筋「分銅紋の谷」が存在します。谷筋の末端に近いところに矢穴、作業途中の矢穴、矢穴を正確に並べて開けるためのケガキ線、刻印、矢割面を残す石材があるのです。築城石を切り出す際の手順が判る貴重な築城石切出し残石です。
隣接する平場には何故か築城石目的とは思えない石材に刻まれた刻印石(分銅紋)に囲まれた場所があります。何らかの目印として刻印が刻まれたようですが石丁場の存在を表す標識紋ではありません。推測ですが分銅紋の刻印石に囲まれた平場は石工達の飯場ではないでしょうか。

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谷戸山石丁場「大割石巨石」
静岡県賀茂郡東伊豆町大川地区、慶長九年、徳川家康による江戸城大改修の公儀普請に参加した堀尾山城守(松江城築城主)による築城石切出し残石です。

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細久保石丁場 「江戸城築城石切出作業現場」
伊豆國大川・細久保石丁場内に今での石工が現れそうな生々しい石材切出し石丁場の現場です。大型自然石を複数に分けて切り出す様子が手に取るように判ります。

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細久保石丁場 「斜面の矢穴巨石」
伊豆國大川地区の江戸城築城石採石石丁場、細久保石丁場内の大型矢割石です。高さ3mを越える巨石で、矢穴が開けられ巨石は二つに割られています。矢穴を開けるための目印とされる石鑿によるケガキ線も刻まれています。

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細久保石丁場「矢穴巨石と#に・≠フ刻印が刻まれた矢割巨石」
伊豆國大川・細久保石丁場内の矢穴が開けられた巨石と芸術品のように割られた大割石です。大割石の側面には「#に・」の刻印が刻まれています。刻印を入れた大名家は定かではありませんが資料によると島津右馬頭忠興、鍋島信濃守勝茂、浅野紀伊守幸長ではないかとされています。

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伊豆國稲取(静岡県東伊豆町)
本林石丁場「林道沿い刻印石」
伊豆國稲取、本林石丁場の存在する土佐藩第二代藩主・山内忠義の刻印と加賀藩前田家の刻印が刻まれた巨石の紹介です。
土佐藩は徳川秀忠による元和六年の公儀普請の際、伊豆國稲取において採石し取り置き石となっていた角石を献上後、加賀藩他大名家に石丁場の譲り渡しを行っています。
巨石に刻まれた刻印は石丁場譲り渡しの史実を物語っているのです。

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本林石丁場「三つ団子紋∞#型紋∞釘抜紋 刻印石」
伊豆國稲取、本林石丁場内。
備前平戸藩第三代藩主・松浦隆信の「三つ団子紋」」刻印石、土左藩第二代藩主・山内忠義の「#型紋」刻印石、筑後国久留米藩初代藩主・有馬玄蕃頭豊氏(ありまげんばのかみとようじ)の「釘抜紋」刻印石の紹介です。
高精細映像のためデータ量、大きいです。

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本林石丁場「巨大矢割石現存石丁場」
伊豆國稲取、本林石丁場内の見所の一つ、大型矢穴跡の巨石が密集する石丁場跡です。至近距離に備前平戸藩第三代藩主・松浦隆信の刻印「三つ団子紋」が存在していることから、松浦隆信担当の石丁場跡ではないかと思われます。
松浦隆信は慶長十九年、徳川家康より駿府城に呼び出され江戸城修築の石垣手伝いを申し付けられているのです。
大型矢穴の切り出し石材は慶長時代の作業痕跡を物語り、家康より命を受けた直後に松浦隆信が伊豆國稲取に石丁場を設けた証拠ではないかと思われます。
高精細映像のためデータ量、大きいです。

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伊豆國戸田(静岡県沼津市)
戸田石丁場「ほそ川越中守 石場*チ文石」
駿府城、久能山東照宮、江戸城の築城石を切り出した沼津市戸田地区の石丁場内。細川忠興の担当丁場に残された銘文が刻まれた巨石です。
スタンダード映像です。ハイビジョンではありません。

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