「○」に「久」の刻印、近景です。

伊東市教育委員会発行の資料によると「荻野家文書」に、

「・・毛利市三郎の丁場がしゃくし洞で、石の紋は矢はず、久留島丹後守の丁場が同じくしゃくし洞で石の紋は丸に久の字・・」と記載があります。

現在、しゃくし洞という地名はありませんが採石当時しゃくし洞と呼ばれていたのは磯辺山石丁場であったようです。

また、元文三年の「宇佐美湯川村境界図」にはしゃくし洞と刻印石の位置の記載があり、

磯辺山石丁場の現位置と一致するため、しゃくし洞と磯辺山石丁場は同位置であることと思われます。

したがって刻印を刻んだ大名家は豊後国森藩主・久留島通春で間違いないでしょう。


閉じる