広島城主・羽柴左衛門大夫こと福島正則の石丁場ではないかと推測されていますが、
この角石群より枯れた沢沿い数十m下にポツンと存在する結三輪違紋の刻印石。
紀伊国和歌山城主、浅野紀伊守幸長の代表違紋ですが、
結三輪違紋はこの石丁場より約2〜300m北、尾根を一つ超えた場所に多数存在しています。
南に約100m先には加賀藩の丁場と思われる大型の「田紋」の刻印が複数点在。

現在まで残る角石群、一体何処の大名が担当したのでしょうか・・?



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