大型矢割跡は慶長時代の採石です。
熱海市、礼拝堂石丁場からは「京極丹後守 慶長九年」と刻まれた石が発見されています。
同エリアの石丁場からも「丹」の刻印が刻まれた巨石と「此ノ石ヨリ南西 京極丹後守石場」の巨石が見つかっていますので、
徳川家康による慶長九年の城普請発令直後、京極家の石工たちが石材を求めて山深い谷筋に入ってきたのでしょう。

とても石丁場を形成する場所としては、海岸線からの距離、標高を考えると相応しくないのですが、
水流のある沢は本流に流れ込み、谷筋は海岸線まで続いている地形です。

石工たちは石材がある場所だけを石丁場とした訳ではなく、
とてつもない巨大な石材を効率的に運び出すことが出来る地勢を選択しているようです。



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